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映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク。
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【大田区仲池上】
坂名は、江戸時代後期にこの村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったことに由来する。
坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。


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【府中市本町】
坂の名は、大国魂神社の例大祭に深い係わりのある人名に由来すると言われます。五月の例大祭に「国造代奉幣式」という古式があります。これは。国造代(奉幣使)が神馬に乗って坪の宮におも向き、神輿渡御の完了を告げたあと、鹿島坂を上り、甲州街道を東上、御旅所へ参向して奉幣を行うというものです。この式は、古く社家の鹿島田家がその役割を担っていたため、この坂を「鹿島田坂」と呼び、後に名前の一部をとって、「鹿島坂」となったようです。


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【新宿区市谷本町】
新撰東京名所図会によれば「市谷門より四谷門へ赴く、堀詰辺に坂あり、高力坂という。幕臣高力小次郎の邸あり、松ありしかば此名を得たり、高力松は枯れて、今、人見の合力坂を存せり。東京電車鉄道の外濠線往復す。」とある。
すなわち、高力邸にあった松が高力松と呼ばれ有名だったので、その松にちなんで、坂名を高力坂と名付けたものと思われる。
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現在は、外堀通りの一部となっています。


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【府中市宮町】
この坂の由来は明らかではありませんが、昔、この坂道を繁茂した竹や草木がおおいかぶさり、また周囲の木立などがうっそうとして薄暗く、それはあたかも通行する人の心に地獄への道のようなイメージを与えていたことによるのかもしれません。
別名を「暗闇坂」ともいいますが、この名前は坂道の薄暗い状態から由来していると思われます。
坂の西側の叢林は、五月五日の暗闇祭で有名な武蔵総社大国魂神社の杜です。

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こんなに狭い道でも、名前が付いて残っているのはすごいです。


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【北区赤羽西】
かつて坂下一帯に亀ヶ池があり、近くに亀ヶ池弁財天が祀られているので、その名が付いた。


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【府中市本町】
この坂の名称は、妙行院の境外仏堂である金比羅堂に由来すると言われます。坂は明治末期ごろにハケ下からの往来のためにつくられたものだと言われています。
坂名になっている金毘羅堂は、妙高院の鎮守堂です。仏堂は古くからまつられていますが、今のお堂は文化13年(1816)に改築したものといわれます。
妙光院は真言宗の名刹で、戦国時代には八王子城主の北条氏照も帰依しており、徳川家康から寺領十五石を寄進されています。


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【府中市八幡町】
この坂は、昔、坂の下に「天地」の屋号の家の水車があったことに由来しているといわれます。
このあたりは、ひところは湧水が多く、古地図などにもその名が記されています。そのため、ハケ下にはわさび田が広がり、その風景は一幅の絵画を見るようだったといわれます。ハケあいたには瀧も流れ落ちたていたといわれ、「たきの下」「たきの前」の地名が歴史的に確認されています。昭和の初期ごろまでは、これらの湧水を利用した水車が数多かったそうです。

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右側は、府中競馬場の駐車場。
この辺りの坂は、多摩川へ下る坂です。そして、坂と多摩川の間は府中競馬場があるので、坂としては味気ないです。
見た目より急坂です。ちなみに、勾配率は14%です。


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