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桃乳舎【中央区日本橋小網町13−13】
竣工年:1933年(昭和8)
Photo:2014年3月
今でも、営業している定食屋。創業は、1889年(明治22)だが、建物は1933年(昭和8)に建てられたもの。典型的な看板建築です。
正面上の桃が、ちょっとかわいらしいです。
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丸石ビルディング【千代田区鍛冶橋町1−10−4】
竣工年:1931年(昭和6)
Photo:2014年3月
山下寿郎建築事務所設計のオフィスビルです。
大洋商会という会社が入っています。丸石の名前の由来は、丸石自転車が入っていたことから付けられたようです。
全体のデザインは、ロマネスク様式で、1階外壁は石材を利用し、2階以上はスクラッチタイル張りとしています。1階のアーチと随所のレリーフがなかなかのものです。
1階のアーチ部分拡大。
花・七面鳥・獅子・羊・牛・魚が左右一対で頂点に鷲があります。キリスト由来のレリーフ彫刻。
こういう、細かい装飾もなかなか手が込んでいます。
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竣工年:1931年(昭和6)
Photo:2014年3月
山下寿郎建築事務所設計のオフィスビルです。
大洋商会という会社が入っています。丸石の名前の由来は、丸石自転車が入っていたことから付けられたようです。
全体のデザインは、ロマネスク様式で、1階外壁は石材を利用し、2階以上はスクラッチタイル張りとしています。1階のアーチと随所のレリーフがなかなかのものです。
1階のアーチ部分拡大。
花・七面鳥・獅子・羊・牛・魚が左右一対で頂点に鷲があります。キリスト由来のレリーフ彫刻。
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先日、久しぶりに羽田空港に行ったとき、本城直季さんのようにジオラマっぽくに写してみました。
初めての割には、まあまあの出来かな?
羽田空港第2ターミナル【大田区羽田空港3丁目】
(2013年10月撮影)
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9月2日に取り壊し工事が始まった小学館ビル。1967年に完成しました。
当時、『オバケQ太郎』が大ヒットしていたので、そこから新社屋を作ったため、おばQビルとも呼ばれていたそうです。新社屋は2016年に完成予定だそうです。
1F応接ロビーの落書き。
小学館ビル【千代田区一ツ橋2丁目】
(2013年8月撮影)
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いよいよ、東京駅八重洲口グランルーフが来月20日オープンします。
思えば、2007年11月6日に大丸東京店が閉店してから、6年弱。
長きに渡る工事が一段落しそうです。今後は、来秋供用予定の駅前広場の整備に移ります。
2007年9月、旧大丸東京店。
2009年9月、旧大丸東京店取り壊しの様子。
東京駅【千代田区丸の内1丁目】
(上2013年8月撮影、中2007年9月撮影、下2009年9月撮影)
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神田神保町にあるゲーセンミッキーが先月29日に閉店しました。
1982年(昭和57)から営業。経営元は、両替機やゲーム筐体などの製造・販売を行う三木商事。社長が三木さんなのでそこからとったものだそうです。
神保町の老舗ゲーセン「ミッキー」、32年の歴史に幕━別れを惜しむファンの姿も(神田経済新聞より)
おいらが神保町界隈の大学に通っていたので、学生時代はよく来ていたところの一つです。思っていたよりも歴史が浅いのにびっくりしました。おいらがよく通っていた90年代後半にはけっこうあちこちガタがきていた記憶あったもので・・・。
ちなみに、去年も1、2回訪れています。基本的にゲーセンは1回100円ですが、ミッキーは50円だったのでかなり重宝しました。
閉店の理由は、経営不振というより建物の老朽化。
2年後ぐらいには、新しいビルが建つ予定だそうですが、ミッキーが再び戻ってくるかどうかは、未定だそうです。
駿河台交差点近くのゲーセンもいつの間にか閉店してしまったし、なんとも寂しい限りです。
ゲームコーナーミッキー【千代田区神保町1−16】
(2013年4月撮影)
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銀座シネパトス。先月31日をもって閉館されました。
銀座シネパトスは、銀座4丁目に三原橋地下街に3スクリーンを構える。
同地下街は、1952年(昭和27)に開設され、日本に現存するエチカフィット上野(旧地下鉄ストア)に次ぐ歴史を持つ。同感は1967〜1968年(昭和42〜43)、銀座名画座、銀座地球座として開館。1988年(昭和63)に銀座シネパトスに改名。
三原橋地下街が耐震性の問題で取り壊しが決まり、2013年3月31日に閉館。
銀座・晴海通りの地下映画館、来年3月閉館へ━地下街取り壊しで(銀座経済新聞2012年7月20日付)
5丁目側の入口。
3丁目側の入口
三原橋地下街の様子。
なんだか、最近はやりの耐震性の問題で取り壊し。
この理由が、金科玉条のごとく使われているけど、ホントのところはどうなんだろうと
常々思う。日本は地震大国だから、海外みたいに古い町並みを残せないのか?いや、それは違うと思うんだけどなあ。
三原橋地下街【中央区銀座4丁目】
(2013年3月撮影)
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