×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日暮里・谷中の夕焼けだんだんの坂上にある桜が5月末に伐られました。
「夕焼けだんだん」の桜、今日にも伐採。いつかまたこの地に花を(2011年5月30日付東京新聞より)
以前から、桜の内部が腐食していて、倒木の危険があるということなので、伐られることはかなり前から知っていました。
で、最近その桜を伐ってから初めて通ったので、撮ってきました。
(2011年6月24日撮影)
ちょっと、アングルが違いますが、最後に花が咲いていた時です。
(2011年4月16日撮影)
夕焼けだんだんと言えば、夕焼け、猫、桜。その一つがなくなって、寂しいですが、またいつか桜が咲くまでしばし、おやすみです。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
「夕焼けだんだん」の桜、今日にも伐採。いつかまたこの地に花を(2011年5月30日付東京新聞より)
以前から、桜の内部が腐食していて、倒木の危険があるということなので、伐られることはかなり前から知っていました。
で、最近その桜を伐ってから初めて通ったので、撮ってきました。
(2011年6月24日撮影)
ちょっと、アングルが違いますが、最後に花が咲いていた時です。
(2011年4月16日撮影)
夕焼けだんだんと言えば、夕焼け、猫、桜。その一つがなくなって、寂しいですが、またいつか桜が咲くまでしばし、おやすみです。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
PR
久しぶりのtokyo.photoです。
今回は、少し前に訪れた九段会館(旧軍人会館)です。ホテル・宴会場として使われていましたが、3.11の震災で天井の一部が崩落する事故を受け、死傷者が出たので営業を終了し、現在(2011年6月20日)は閉鎖中です。
1934年(昭和9)竣工。軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的に建設されました。1936年(昭和11)2.26事件の時には戒厳司令部が置かれ、戦後は1945年(昭和20)9月から1957年(昭和32)1月まで連合軍の宿舎として使用、その後は、九段会館と改め、現在に至る。
昭和初期に流行った帝冠様式。洋式の建物の上に和式の屋根を載せた建築様式のことを言います。
屋根の上には、鯱などがあったりします。
壁面にも凝った装飾が施されいて、独特な建物です。魔除け的な役割もあるのでしょうかね?
建物を管理していた日本遺族会は国に返還してしまいました。九段会館は、このあとどうなるんでしょうか?しっかり補修して活用してほしいものですね。
九段会館【千代田区九段南1−6−5】
(2011年5月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
今回は、少し前に訪れた九段会館(旧軍人会館)です。ホテル・宴会場として使われていましたが、3.11の震災で天井の一部が崩落する事故を受け、死傷者が出たので営業を終了し、現在(2011年6月20日)は閉鎖中です。
1934年(昭和9)竣工。軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的に建設されました。1936年(昭和11)2.26事件の時には戒厳司令部が置かれ、戦後は1945年(昭和20)9月から1957年(昭和32)1月まで連合軍の宿舎として使用、その後は、九段会館と改め、現在に至る。
昭和初期に流行った帝冠様式。洋式の建物の上に和式の屋根を載せた建築様式のことを言います。
屋根の上には、鯱などがあったりします。
壁面にも凝った装飾が施されいて、独特な建物です。魔除け的な役割もあるのでしょうかね?
建物を管理していた日本遺族会は国に返還してしまいました。九段会館は、このあとどうなるんでしょうか?しっかり補修して活用してほしいものですね。
九段会館【千代田区九段南1−6−5】
(2011年5月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
今回は、復興小学校ではなく、復興小学校と同時期に建てられた新築の小学校、港区立高輪台小学校です。
以前書いた、インターナショナルスタイル代表例の小学校です。
1935年(昭和10)に建てられました。
1997年(平成9)に都選定歴史建造物に指定されました。
今まで紹介した復興小学校とは、対照的なデザインです。ホントに同時期に建てられ、改修工事を受けているとはいえ、70年以上経過しているとは思えない造りです。
この辺りは、大使館などもあるので、インターナショナルスタイルにしたのだと思われます。
こちらは、改修していて門なども新しいですね。
校舎は基本的に高い塀で囲まれているのであまりよく見えませんでした。
裏側に回って見た、高輪台小学校。
手前は、承教寺の敷地です。
港区立高輪台小学校【港区高輪2−8−24】
(2010年9月撮影)
ひとまずこれにて、現役で使われている復興小学校巡りに区切ります。
現役・廃校になった復興小学校はまだまだあるので、その都度単発で紹介していきたいと思います。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
以前書いた、インターナショナルスタイル代表例の小学校です。
1935年(昭和10)に建てられました。
1997年(平成9)に都選定歴史建造物に指定されました。
今まで紹介した復興小学校とは、対照的なデザインです。ホントに同時期に建てられ、改修工事を受けているとはいえ、70年以上経過しているとは思えない造りです。
この辺りは、大使館などもあるので、インターナショナルスタイルにしたのだと思われます。
こちらは、改修していて門なども新しいですね。
校舎は基本的に高い塀で囲まれているのであまりよく見えませんでした。
裏側に回って見た、高輪台小学校。
手前は、承教寺の敷地です。
港区立高輪台小学校【港区高輪2−8−24】
(2010年9月撮影)
ひとまずこれにて、現役で使われている復興小学校巡りに区切ります。
現役・廃校になった復興小学校はまだまだあるので、その都度単発で紹介していきたいと思います。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
中央区から離れて、千代田区です。
靖国神社から程近いところにある九段小学校です。
明治36年(1903)に開校し、現在の建物は大正15年(1926)に建てられました。
正門側から。銀杏で全体が見渡せませんが・・・。
手前は、東郷公園で東郷坂がすぐ脇を通っています。
なんか、今まで見てきた復興小学校とは違う感じです。今までは、白っぽい色でしたが、今回は黄土色っぽい感じです。
窓がアーチ型でそれにそって、壁もアーチ型に縁取られています。
校庭側から。
おそらく、教室側だと思いますが、こちらもアーチ型の窓になっています。区内でも超一等地ではないので、校庭が広いですね。
校庭側、向かって左側。
唯一、ここだけ円柱の柱があります。
何とも言えない、いいアクセントになっています。
千代田区立九段小学校【千代田区三番町16】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
靖国神社から程近いところにある九段小学校です。
明治36年(1903)に開校し、現在の建物は大正15年(1926)に建てられました。
正門側から。銀杏で全体が見渡せませんが・・・。
手前は、東郷公園で東郷坂がすぐ脇を通っています。
なんか、今まで見てきた復興小学校とは違う感じです。今までは、白っぽい色でしたが、今回は黄土色っぽい感じです。
窓がアーチ型でそれにそって、壁もアーチ型に縁取られています。
校庭側から。
おそらく、教室側だと思いますが、こちらもアーチ型の窓になっています。区内でも超一等地ではないので、校庭が広いですね。
校庭側、向かって左側。
唯一、ここだけ円柱の柱があります。
何とも言えない、いいアクセントになっています。
千代田区立九段小学校【千代田区三番町16】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
再び、中央区に戻って東京駅と神田駅の中間にある常盤小学校です。
明治6年(1873)に開校し、現在の建物は昭和4年(1929)に建てられました。
平成20年(2008)に近代化産業遺産に指定されています。
今まで何校か復興小学校を見てきましたが、一番堂々とした造りです。
正面向かって左側。
こちらは、造りからして体育館だと思われます。
正面向かって右側。
正門。
なんか、ただ者ではない造りです。
裏は雑居ビルが建っているので、あまり見通せないですが、アールの部分かなりゆるやかな感じになっています。
実は、ここにある説明板を読んで始めて知ったのですが、昭和初期の小学校は大きく分けて2つあり、今まで紹介した装飾性を加味したスタイルと、インターナショナル・スタイル(国際建築様式)があるということが分かりました。
インターナショナルスタイルの代表的な例はのちほど紹介します。
中央区立常盤小学校【中央区日本橋本石町4−4−26】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
明治6年(1873)に開校し、現在の建物は昭和4年(1929)に建てられました。
平成20年(2008)に近代化産業遺産に指定されています。
今まで何校か復興小学校を見てきましたが、一番堂々とした造りです。
正面向かって左側。
こちらは、造りからして体育館だと思われます。
正面向かって右側。
正門。
なんか、ただ者ではない造りです。
裏は雑居ビルが建っているので、あまり見通せないですが、アールの部分かなりゆるやかな感じになっています。
実は、ここにある説明板を読んで始めて知ったのですが、昭和初期の小学校は大きく分けて2つあり、今まで紹介した装飾性を加味したスタイルと、インターナショナル・スタイル(国際建築様式)があるということが分かりました。
インターナショナルスタイルの代表的な例はのちほど紹介します。
中央区立常盤小学校【中央区日本橋本石町4−4−26】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
復興小学校は、中央区以外にもあります。
御徒町駅の近くにある黒門小学校です。
明治37年(1904)に仲徒尋常小学校として開校し、明治43年(1910)に黒門小学校と改称。現在の建物は昭和5年(1930)に建てられました。
今年創立100周年を迎えました。
復興小学校としては、後期に建てられたものです。
黒門小学校正門。
印象としては、すっきりとした感じがする小学校です。
よく見ると、左と右で窓の大きさが違います。
黒門小学校東門。
黒門小学校南門。
ビルの谷間にあるので、全体を見ることができないです。
台東区立黒門小学校【台東区上野1−16−20】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
御徒町駅の近くにある黒門小学校です。
明治37年(1904)に仲徒尋常小学校として開校し、明治43年(1910)に黒門小学校と改称。現在の建物は昭和5年(1930)に建てられました。
今年創立100周年を迎えました。
復興小学校としては、後期に建てられたものです。
黒門小学校正門。
印象としては、すっきりとした感じがする小学校です。
よく見ると、左と右で窓の大きさが違います。
黒門小学校東門。
黒門小学校南門。
ビルの谷間にあるので、全体を見ることができないです。
台東区立黒門小学校【台東区上野1−16−20】
(2010年9月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
銀座のど真ん中にある泰明小学校。
明治11年(1879)に開校し、現在の建物は昭和4年(1929)に建てられました。平成11年(1999)東京都選定歴史的建造物に指定されています。
泰明小学校正門。
今までの中で、一番凝った造りになっています。都の歴史的建造物に指定されることだけはあります。
みゆき通りから見た泰明小学校。
中央にある門扉は、南フランスの貴族の館で使用されたものだそうです。
蔦で見にくいですが、窓はアーチ型です。
数寄屋橋公園から。
蔦に隠れていた部分がよく見えます。
角のアールもいい感じ。
高速道路側から。
整然と並んだアーチ型の窓が素敵です。
中央区立泰明小学校【中央区銀座5−1−13】
(2010年7月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
明治11年(1879)に開校し、現在の建物は昭和4年(1929)に建てられました。平成11年(1999)東京都選定歴史的建造物に指定されています。
泰明小学校正門。
今までの中で、一番凝った造りになっています。都の歴史的建造物に指定されることだけはあります。
みゆき通りから見た泰明小学校。
中央にある門扉は、南フランスの貴族の館で使用されたものだそうです。
蔦で見にくいですが、窓はアーチ型です。
数寄屋橋公園から。
蔦に隠れていた部分がよく見えます。
角のアールもいい感じ。
高速道路側から。
整然と並んだアーチ型の窓が素敵です。
中央区立泰明小学校【中央区銀座5−1−13】
(2010年7月撮影)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)