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次は、東京駅八重洲中央口から2、3分歩いてのところにある城東小学校です。
1928年(昭和3)年に建てられて、築80年以上経っています。
東京駅の周辺にあるだけでもビックリなのに、しかもその小学校が復興小学校とはさらに驚きです。
いったい、どこから通学しているんだろうと思います。
城東小学校全景。
といっても、小学校の前は狭い道なのであまりちゃんと収まっていませんが・・・。
今まで訪れた復興小の中で、一番すっきりとした造りです。のっぺりとした感じです。
城東小学校正門。
特にアーチ型という訳でもなくシンプルな造りだと思っていたら・・・。
ちゃんと、アーチ型の窓が正門脇のところにありました。
校庭が見える方に回ってみると、アーチ型の窓や半円の窓もありました。
ネット越しで見づらいですが、復興小学校の特徴とも言える半円柱の柱も確認できました。
中央区立城東小学校【中央区八重洲2−2−2】
(2010年7月撮影)
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1928年(昭和3)年に建てられて、築80年以上経っています。
東京駅の周辺にあるだけでもビックリなのに、しかもその小学校が復興小学校とはさらに驚きです。
いったい、どこから通学しているんだろうと思います。
城東小学校全景。
といっても、小学校の前は狭い道なのであまりちゃんと収まっていませんが・・・。
今まで訪れた復興小の中で、一番すっきりとした造りです。のっぺりとした感じです。
城東小学校正門。
特にアーチ型という訳でもなくシンプルな造りだと思っていたら・・・。
ちゃんと、アーチ型の窓が正門脇のところにありました。
校庭が見える方に回ってみると、アーチ型の窓や半円の窓もありました。
ネット越しで見づらいですが、復興小学校の特徴とも言える半円柱の柱も確認できました。
中央区立城東小学校【中央区八重洲2−2−2】
(2010年7月撮影)
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証券街で有名な兜町にある阪本小学校です。
阪本小学校は、明治6年(1873)年3月、第一番官立小学阪本学校として創立。
現在の建物は、昭和3年(1928)に落成。
正門。
明石小、中央小に見られたアーチ型の入り口ではなく、四角形入り口。庇あるところがなんとなく中央小に似ている感じがします。
通用門。
なんかこじんまりとしている造りです。
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復興小学校第2弾ということで、明石小学校から程近いところにある中央小学校です。
この小学校も、明石小学校と一緒に取り壊されます。
元々は、鉄砲洲小学校でしたが、平成5(1993)年に京華小学校と統合して、中央小学校と改名しました。
木々で覆われて全体が見にくいですが、ぱっと見たところ、ふつうの小学校みたいな感じです。明石小学校よりもシンプルな造りです。
正門。
やはり、入り口はアールがある造りです。
校庭。
窓が大きい感じ。
そして、柱が太い。
これは、地震などの災害に対応した造りになっているのかなあと思います。
ここから、見ると歴史のある建物に見えますね。
通用門。
さっぱりした感じです。
廊下側で窓が小さく造られています。
(2010年7月撮影)
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この小学校も、明石小学校と一緒に取り壊されます。
元々は、鉄砲洲小学校でしたが、平成5(1993)年に京華小学校と統合して、中央小学校と改名しました。
木々で覆われて全体が見にくいですが、ぱっと見たところ、ふつうの小学校みたいな感じです。明石小学校よりもシンプルな造りです。
正門。
やはり、入り口はアールがある造りです。
校庭。
窓が大きい感じ。
そして、柱が太い。
これは、地震などの災害に対応した造りになっているのかなあと思います。
ここから、見ると歴史のある建物に見えますね。
通用門。
さっぱりした感じです。
廊下側で窓が小さく造られています。
(2010年7月撮影)
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なかなか、整理がつかず遅くなってしまいましたが・・・。
今、ちょっと騒がれている復興小学校。
中央区立明石小学校5回目の署名提出市民団体保存求め(2010年7月22日付東京新聞より)
建築学会など「解体工事を中止し、充分な調査を」(2010年8月19日付毎日新聞より)
中央区長、解体中止応じず建築84年、劣化進み(2010年8月24日付毎日新聞より)
明石小学校は、現存する数少ない復興小学校の一つです。
ちなみに、復興小学校とは関東大震災で倒壊・焼失した小学校を作り直した小学校のことです。鉄筋コンクリート造で、公園が併設されているのが特徴です。
ということで、前振りが長くなりましたが、解体工事の少し前に撮った明石小学校です。
復興小学校は、このアールがある入り口が特徴です。
コーナーのこのアールもなかなかいい感じです。
この重厚な作りは、小学校とは思えないほど素晴らしいです。
ということで、実はこのあと中央区を中心とした復興小学校巡りをしたので、何校か載せていきたいと思います。
(2010年7月撮影)
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渋谷駅東口。
2年後には、東横線と副都心線が相互乗り入れを始めるので、景色が変わるはずです。
計画では東横線は、地下で副都心線と乗り入れ、現在の東横線のところに埼京線が来る予定だそうです。
東急文化会館跡。
閉館する半年前の五島プラネタリウムに行ったことを思い出します。
ここは、渋谷ヒカリエという超高層複合ビルがたつそうです。
東口近くを流れている渋谷川。
見ての通り、ここから渋谷川が暗渠になり流れて行きます。
東横線渋谷駅構内。
どことなく、懐かしさを感じる構内。
2012年がターニングポイントなる渋谷駅周辺、また時間をおいて撮りたいと思います。
(2010年7月)
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京品ホテル
1871年(明治4)に旅館と開業。1930(昭和5)年に現在の建物をホテルとして建築しています。2008年に廃業。設計は、吉田享二。施工は清水組。
品川駅高輪口前にある京品ホテルがついに来月の1日から取り壊されます。
2年ぐらい前に元従業員が自主営業していたのを強制退去させるのがニュースになったので記憶にある人もいるでしょう。
あれから、もう2年前になろうとしています。
それで、やっと解体工事が始まります。
まだ、営業していた時に前を通ったことがあるけど、テナントはそこそこ繁盛していた記憶があります。
品川駅高輪口前の一等地。
解体した後、どうなるのでしょうか?
(2010年6月撮影)
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アップするのを忘れかけていました。
先月末に坂探索後記〜永田町〜で言っていた別件というのは、赤坂プリンス(現グランドプリンスホテル赤坂)が来年の3月をもって営業終了ということを聞いて、撮ってきました。
もちろん、赤坂プリンスには入ったことがないけど、とにかく高級なというイメージしありません。
なんでも、この赤坂プリンスの新館は、1983年に開業。都庁などを手がけたあの有名な丹下健三が設計したものだそうです。
こちらは、諏訪坂に面した赤坂プリンス旧館ですが、こちらは取り壊しの対象に入っていないそうです。
元々は、李王家邸で1930年に造営された木造の洋館です。
なかなか雰囲気のある洋館でものすごい存在感があります。
弁慶橋のたもとからのショット。
この弁慶橋は、弁慶堀に架かる橋から名付けられました。
この弁慶堀では、貸しボートをやっていて、釣りを楽しんでいる人が何人かいました。
弁慶堀に沿っている紀国坂下からのショット。
左下の白い建物が先ほど説明した貸しボート屋です。
(2010年5月撮影)
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先月末に坂探索後記〜永田町〜で言っていた別件というのは、赤坂プリンス(現グランドプリンスホテル赤坂)が来年の3月をもって営業終了ということを聞いて、撮ってきました。
もちろん、赤坂プリンスには入ったことがないけど、とにかく高級なというイメージしありません。
なんでも、この赤坂プリンスの新館は、1983年に開業。都庁などを手がけたあの有名な丹下健三が設計したものだそうです。
こちらは、諏訪坂に面した赤坂プリンス旧館ですが、こちらは取り壊しの対象に入っていないそうです。
元々は、李王家邸で1930年に造営された木造の洋館です。
なかなか雰囲気のある洋館でものすごい存在感があります。
弁慶橋のたもとからのショット。
この弁慶橋は、弁慶堀に架かる橋から名付けられました。
この弁慶堀では、貸しボートをやっていて、釣りを楽しんでいる人が何人かいました。
弁慶堀に沿っている紀国坂下からのショット。
左下の白い建物が先ほど説明した貸しボート屋です。
(2010年5月撮影)
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