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映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク。
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ちょっと間が空いてしまいましたが、坂東三十三観音巡りです。
光明寺を訪れた後、鶴巻温泉駅まで歩いて小田急に乗り、座間駅で下車。
目指す星谷寺は駅から10分ほどのところにありました。


星谷寺門前。
聖武天皇の御行基菩薩が諸国教化の際、絢爛たる金光星の如く山野に輝くのを見、自ら聖観音の像を彫刻し、堂宇を営みました。
花山法皇が関東巡幸の祭、この霊場に立ち寄られ以後、世を挙げ名所旧跡と唱導し、坂東三十三カ所の第8番として巡拝者が日毎の多くなりました。
源頼朝の信仰篤く、徳川家康公からも帰依を受けました
また、「星の井戸」「根下り紅葉の老木」「撞座一つの梵鐘」「不断開花の桜」「咲き分けの椿」「楠の化石」「観音草」の星谷寺七不思議が伝えられています。

 
星谷寺観音堂。


星谷寺御朱印。
星谷寺は、綺麗に簡潔にまとまっている感じがしました。
それと、星谷寺の前にある観音坂も坂マニアとしては、惹かれるところがあります。(後で、調べたら座間市内には80以上の坂があることがわかりました。)

これで、一旦神奈川県を離れて第9番札所からは埼玉県に突入します。
いよいよ、坂東三十三観音巡りも本格化してきます。


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一昨日のこと。
5ヶ月ぶりの坂東三十三観音です。
東海道線平塚駅からバスで金目駅下車して、歩くとすぐあります。


坂東第七番金目山光明寺観音堂の本尊聖観音菩薩は千二百五十年の昔大宝二年相州小磯の浜に出現された霊像で、有徳の僧道儀によって、此の地にまつられたものと言い伝えています。
この寺は平塚市最古のもので、観音堂もまた平塚市最古の建築物として重要文化財に指定されています。


光明寺観音堂
桁行五間、梁間六間、宝形造、杮茸形銅板葺。明応7年(1498)の建立。
この観音堂は、本格的密教本堂形式で、一般の中世密教本堂に比べて異例なほど外陣の閉鎖が著しく、内陣は当初後面三間とも板壁で、低く幅の広い和様仏壇を設けていることが特色です。


光明寺御朱印。

このあと、第8番札所星谷寺に参拝に行きました。


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第5番札所勝福寺を後にし、向かったのは厚木にある第6番長谷寺。小田急本厚木駅からバスで30分ほどのところにあります。


バス停から歩いて、10分ほどのところにある長谷寺山門。
右手の階段のところを上っていきます。


この先の見えない階段を上っていきます。


参道脇にあった、かながわの名木100選の一つ。飯山観音のイヌマキ。樹齢
400年ほど古木です。


長谷寺観音堂。
この観音堂は、江戸時代に建立されたものと推定され、桁行五間、梁間五間の正方形平面を持つ、銅板葺(以前は、茅葺)の宝形堂です。
正面中央間とのその両脇間は両折桟唐戸、両隅間は連子窓という古風な構えをみせ、側面も前一間を両折桟唐戸として、四周には木口縁をめぐらし、擬宝珠高欄をまわしています。
堂内には、前二間が外陣、後三間が内陣に分けられていて、内陣には、1672年(寛文12)に旧飯山村の大工西海氏によって造られた文化財の厨子が安置され、その中に本尊の木造十一面観世音菩薩立像が納められています。


観音堂のある境内から眺める厚木市街。
眺めがいいということは、上ってきたということです。
この長谷寺の近くには、飯山温泉という温泉街あって、落ち着いた雰囲気のあるところでした。


長谷寺の御朱印。


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土曜のこと。
4ヶ月ぶりに坂東三十三観音巡りを再開しました。
第4番札所長谷寺の御朱印はもらっているので、第5番札所勝福寺に行きました。小田原駅から大雄山鉄道に乗って、井細田駅で下車。
目指す勝福寺は酒匂川を渡ったところにあります。


真ん中に辺りに、林のあるところが第5番札所勝福寺のあるところだと思われます。遠くに見えるのは丹沢の山々です。


第5番札所勝福寺。
飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、通称飯泉観音と呼ばれ、坂東三十三観音の第5番札所として有名です。本堂や本尊の十一面観音は、県の重要文化財に指定されるなど、由緒ある寺院です。
仁王門は、「飯泉誌」によると1758年(宝暦8)に造営されたもので、全体に木割が太く、二重虹梁下得蟇股式の妻架請が堂々とした外観を構成しています。また、八脚門としては県下でも最大級で、格調の高い門です。


勝福寺本堂。
この本堂は、1708年(宝永3)に再建されたもので、江戸時代初期の古式を留めた地方色豊かな建物です。


銅鐘。
青銅製の和鐘で銘文により、江戸時代初期の1629年(寛永6)に地元の鋳物師である青木源右衛門の作であるとがわかります。この銅鐘の奉納者は、江戸の侍佐須弥左衛門尉政重と記されています。


御朱印。
坂東五番のところがかすれてしまって、残念です。


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木曜のこと。
またまた、鎌倉に行ってきました。


まずは、今回の目的の一つ北鎌倉にあるビーフシチュのお店去来庵へ。
普段は、行列とか出来るけど、開店時刻狙ったのと、平日・シーズンオフということで一番乗りでした。
昭和初期の日本建築ということで、庭もなかなかものでした。


オーダーしたビーフシチューセット(¥2,625)
割とあっさりとした味なので、こってりとした味が好みの人には物足りない感じですが、肉が適度に柔らかくおいしく頂きました。

お店を出たあと、源氏山を越えて銭洗弁天〜鎌倉駅を経由して、前回逃した第3番札所田代寺へ。



祇園山安養院田代寺
尼将軍と称される北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目が谷に建立した祇園山長楽寺が前身と伝えられています。その後、鎌倉末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院になったといいます。安養院は、北条政子の法名です。
1680年(延宝8)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかつて建立した田代寺の観音堂を移しています。こうして、「祇園山安養院田代寺」となりました。


北条政子の墓と伝えられています。


田代寺御朱印。
第4番長谷寺は御朱印を頂いているので、第5番勝福寺になります。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
去来庵
鎌倉市山ノ内157
TEL 0467−24−9835
Open 月〜木11:00〜15:00
     土・日11:00〜17:00
Close 金


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当初は、杉本寺を出た後、一旦鎌倉駅まで戻り第3番札所田代寺いくつもりだったけど、杉本寺からハイランド循環行きのバスに乗ると、第2番札所岩殿寺に近づくことがわかったので、急遽岩殿寺に向かうことにする。
本来ならば、西友ストアー前で降りたほうがいいのだが、どこで降りればいいのかよくわからず、一つ先の坂上で降りることになってしまった。


歩くこと、30分余り岩殿寺入口に到着。


海前山岩殿寺。
縁起によると、聖武天皇の勅願による大和国の長谷寺の開山本願徳道上人が、この地に下向された時に始まる。それゆえに、当山は徳上、行基両聖人の開基といわれている。また、大悲殿前から南海を見渡せるので、山を海前(現在は、海雲山)と名付け岩窟が自然の殿堂のようなので、寺を岩殿寺と号したといわれる。


利生堂。

 
観音堂は、この道の先にある階段を登っていきます。


岩殿寺観音堂。


岩殿寺御朱印。


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先週木曜のこと、坂東三十三観音1番札所杉本寺に行ってきました。
杉本寺は、奈良時代に行基が開いたと伝えられる鎌倉最古のお寺です。
光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。
鎌倉時代に火災が起きた時、本尊みずから境内にある大杉の下におもむき難を逃れた。
それにより「杉の本の観音」と呼ばれるようになったと「吾妻鏡」では伝えています。


仁王門へ続く参道。
改修工事の最中ということで、左脇の階段を上って行きます。


ちょっと、珍しい茅葺きの観音堂。


坂東第1番杉本寺の御朱印。


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