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つい、最近ブルートレインを乗る機会があって思い出したが、ちょっと前の記事にになるが、こんな記事があった。
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ブルートレイン 「あさかぜ」「さくら」来春引退
戦後の復興期から高度経済成長期に一世を風靡(ふうび)した日本で初めての寝台特急「あさかぜ」と2番目に古い「さくら」が来年3月のダイヤ改正で姿を消 す。共同運行しているJR旅客4社(東日本、東海、西日本、九州)が「廃止」で合意した。東海道沿線の主要都市から山陽・九州方面に旅情を運び続けた名物 列車は乗客減と急速に進む高速化のはざまで半世紀近い歴史にピリオドを打つ。
JR各社によると、東海道・山陽新幹線のスピードアップや航空各社の国内線増便で、寝台特急の利用者は激減。国土交通省の調査で、首都圏から九州方面は90%が航空機利用で、03年度の寝台特急利用者は87年のJR発足当初と比べて4分の1以下に落ち込んだ。
JRはグループ挙げて寝台特急による企画旅行やPR作戦を展開し、テコ入れしてきたが低落傾向に歯止めがかからず、整理統合が検討されてきた。今回の統廃合で、東京圏から九州方面は2本、山陽・山陰が3本、関西圏から九州方面は3本となる。
「あさかぜ」は国鉄時代の1958年10月の運転開始以来46年間、東京下関間をひた走った。寝台特急の代名詞となった「ブルートレイン」は「あさかぜ」 の「青い車体の列車」から採られたもので、寝台特急の元祖。個室シャワーやラウンジを備え、食堂車を併結していた時期もあり、「走るホテル」として人気を 集めた。
国の花をヘッドマークにした「さくら」は59年7月に東京長崎間でデビュー。乗客減を理由に99年12月から、3番目に古い「はやぶさ」(東京熊本間)と連結して運行された。その「はやぶさ」も来年春からは「富士」(東京大分間)と連結される。
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うん、なるほど確かにこの日は、30人ぐらいしか乗っておらず、上の記事をふと思い出した。
おいらが、子供のころはブルートレインが全盛で、国鉄も『ディスカーバージャパン』でCMを打っていた。
時代はスピードを求めるようになり、のんびり電車で旅情を楽しむということが少なくなってきた。だから、あさかぜが引退してしまった。すでに、新幹線には食堂車もなく、とても寂しい限りである。
今でも、お客で「食堂車はどこですか?」と言うお客さまがいる。旅情を楽しみたいという人は、まだまだいると思うのだが、引退決定はとても残念なことである。
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