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おととい、有楽町線江戸川橋駅~関口芭蕉庵~永青文庫~新江戸川橋公園~甘泉園公園~亮朝寺~穴八幡というコースで行ってきました。
まずは、関口芭蕉庵。
江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)~延宝8年(1680)の3年間。神田川改修工事のため、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。これが、「関口芭蕉庵』と呼ばれています。
建物は、2回焼失し、後に再建されたものです。
続いて、芭蕉庵を出て脇にある胸突坂の坂上にあるのが、永青文庫。
元々は、肥後熊本54万石細川家の下屋敷があったところです。
永青文庫は、24代護立が昭和25年に設立。
細川家の歴史史料や文化財などが展示されています。
坂を下りて、しばらく歩くと新江戸川公園になります。
庭園は、もとの細川邸をそのまま公園にして、規模は比較的小さいが回遊式泉水庭園になっています。
目白台から早稲田に来て、最初に来たのが甘泉園公園。
江戸時代は、徳川御三卿の一つ清水家の下屋敷があった場所です。明治になってからは、相馬家が購入し屋敷や庭園を整備しました。
名前の由来は、湧き水がお茶に適することから『甘水』と呼ばれていたことに由来しています。
目白台・早稲田を行く。━其之弐━へ続く。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
永青文庫 http://www.eiseibunko.com
まずは、関口芭蕉庵。
江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)~延宝8年(1680)の3年間。神田川改修工事のため、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。これが、「関口芭蕉庵』と呼ばれています。
建物は、2回焼失し、後に再建されたものです。
続いて、芭蕉庵を出て脇にある胸突坂の坂上にあるのが、永青文庫。
元々は、肥後熊本54万石細川家の下屋敷があったところです。
永青文庫は、24代護立が昭和25年に設立。
細川家の歴史史料や文化財などが展示されています。
坂を下りて、しばらく歩くと新江戸川公園になります。
庭園は、もとの細川邸をそのまま公園にして、規模は比較的小さいが回遊式泉水庭園になっています。
目白台から早稲田に来て、最初に来たのが甘泉園公園。
江戸時代は、徳川御三卿の一つ清水家の下屋敷があった場所です。明治になってからは、相馬家が購入し屋敷や庭園を整備しました。
名前の由来は、湧き水がお茶に適することから『甘水』と呼ばれていたことに由来しています。
目白台・早稲田を行く。━其之弐━へ続く。
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永青文庫 http://www.eiseibunko.com
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