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一昨日、スカイツリーに行く途中に横網町公園の前を通った時に、銀杏の黄色が鮮やかだったので、行ってみました。
大正11年(1922)東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に関東大震災で、この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
遭難者の霊の供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園に伊東忠太の設計監督のもと東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。その後、東京大空襲の犠牲者である戦災者の霊も安置することになりました。また、東京空襲犠牲者を追悼し平和も祈念する碑を新たに建設しました。(横網町公園HPより抜粋)
東京都慰霊堂。
築地本願寺を設計した伊東忠太の作品ということで、唐破風を備えて和風ながら、どことなく中華様式の感じがします。
よく見ると、屋根の上には、鳥の彫刻があります。
鳳凰ではなく、オウムっぽい鳥です。
慰霊堂本堂の中。
慰霊堂裏にある納骨堂。
ここに、震災や戦災で亡くなった方が眠っています。
なんか、ここだけ見ていると中国にいるような感じがします。
復興記念館。
中には、震災・戦災に関する展示物があります。
横網町公園から見たスカイツリー。
綺麗に銀杏が黄色になっていて、なかなかよかったです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
横網町公園 http://www.tokyoireikyoukai.or.jp
大正11年(1922)東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に関東大震災で、この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
遭難者の霊の供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園に伊東忠太の設計監督のもと東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。その後、東京大空襲の犠牲者である戦災者の霊も安置することになりました。また、東京空襲犠牲者を追悼し平和も祈念する碑を新たに建設しました。(横網町公園HPより抜粋)
東京都慰霊堂。
築地本願寺を設計した伊東忠太の作品ということで、唐破風を備えて和風ながら、どことなく中華様式の感じがします。
よく見ると、屋根の上には、鳥の彫刻があります。
鳳凰ではなく、オウムっぽい鳥です。
慰霊堂本堂の中。
慰霊堂裏にある納骨堂。
ここに、震災や戦災で亡くなった方が眠っています。
なんか、ここだけ見ていると中国にいるような感じがします。
復興記念館。
中には、震災・戦災に関する展示物があります。
横網町公園から見たスカイツリー。
綺麗に銀杏が黄色になっていて、なかなかよかったです。
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横網町公園 http://www.tokyoireikyoukai.or.jp
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