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観音崎を行く━其之弐━からの続き
いよいよ、これからが本題の灯台巡りです。
2階建ての家みたいなのが一つ目の灯台、燈明堂です。
1648年(慶安元年)に幕府の命によって築造された燈明堂は、観音崎灯台にバトンタッチされる220年間に渡り、使用されました。そして、1872年(明治4年)に廃止。その後、建物は荒れ、石垣のみ残っていましたが、1989年(平成元年)に復元されました。
浦賀湾の入口にある横須賀火力発電所。
完成当時(1970年)には、発電の出力が263万キロワットで世界最大だったそうです。2010年(平成22年)に長期計画停止となっていたが、東日本大震災で不足した電力確保のため運転再開したそうです。
2つ目の灯台。海鹿島灯台。左にある白い建物は、波浪観測所です。
江戸時代には「漁師が鉄砲を担いで船でアシカを捕りに行っていた」「周辺海域には仙台伊達家の財宝が眠る」などの伝説が残されている久里浜沖に浮かぶ島、海鹿島の灯台です。
遠くには、久里浜〜浜金谷を結ぶ東京湾フェリーが見えました。
前方には、メインの観音崎が見え始めました。
観音崎を行く━其之四━へ続く。
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いよいよ、これからが本題の灯台巡りです。
2階建ての家みたいなのが一つ目の灯台、燈明堂です。
1648年(慶安元年)に幕府の命によって築造された燈明堂は、観音崎灯台にバトンタッチされる220年間に渡り、使用されました。そして、1872年(明治4年)に廃止。その後、建物は荒れ、石垣のみ残っていましたが、1989年(平成元年)に復元されました。
浦賀湾の入口にある横須賀火力発電所。
完成当時(1970年)には、発電の出力が263万キロワットで世界最大だったそうです。2010年(平成22年)に長期計画停止となっていたが、東日本大震災で不足した電力確保のため運転再開したそうです。
2つ目の灯台。海鹿島灯台。左にある白い建物は、波浪観測所です。
江戸時代には「漁師が鉄砲を担いで船でアシカを捕りに行っていた」「周辺海域には仙台伊達家の財宝が眠る」などの伝説が残されている久里浜沖に浮かぶ島、海鹿島の灯台です。
遠くには、久里浜〜浜金谷を結ぶ東京湾フェリーが見えました。
前方には、メインの観音崎が見え始めました。
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