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春の金沢を行く━其之壱━から続き
金沢と言えば、兼六園ということで行ってきました。
兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園です。加賀藩5代藩主前田綱紀が1676年(延宝4)作庭したのが始まりで、当初は蓮池庭と呼ばれていた。
その後、1759年(宝暦9)の金沢大火で焼失したが再建し、1822年(文政5)に12代藩主斉広の隠居所、竹沢御殿が完成している。それを斉広が命名の依頼を受けた白河藩主松平定信が、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を兼備すると言う意味で兼六園と命名した。
その後、蓮池庭と調和するように作庭して、今の兼六園が出来ました。
ちょうど、桜が満開でした。これは、旭桜です。
園内にある霞ヶ池。
思っていたよりも園内は広くて、池あり川あり山ありとなかなか豪勢な庭でした。
隣接する金沢城公園にも行きました。
掘りにたまった桜の花びら。
まさか、雪と桜が1日で見られるとは思いませんでした。
春の金沢を行く━其之参━ヘ続く。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
兼六園 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen
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金沢と言えば、兼六園ということで行ってきました。
兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園です。加賀藩5代藩主前田綱紀が1676年(延宝4)作庭したのが始まりで、当初は蓮池庭と呼ばれていた。
その後、1759年(宝暦9)の金沢大火で焼失したが再建し、1822年(文政5)に12代藩主斉広の隠居所、竹沢御殿が完成している。それを斉広が命名の依頼を受けた白河藩主松平定信が、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を兼備すると言う意味で兼六園と命名した。
その後、蓮池庭と調和するように作庭して、今の兼六園が出来ました。
ちょうど、桜が満開でした。これは、旭桜です。
園内にある霞ヶ池。
思っていたよりも園内は広くて、池あり川あり山ありとなかなか豪勢な庭でした。
隣接する金沢城公園にも行きました。
掘りにたまった桜の花びら。
まさか、雪と桜が1日で見られるとは思いませんでした。
春の金沢を行く━其之参━ヘ続く。
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