×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
土曜のこと。
非公開だった増上寺の徳川将軍家霊廟が特別拝観出来るというので行ってみました。
増上寺は、過去に某研究会の見学会で何度と行ったことがあるのですが、裏手にある徳川家霊廟は非公開なので、表の門のみの見学でした。中は、どうなっているのかなあ?と想いを巡らせていた霊廟の中が観られるというので、わくわくしながら行きました。
徳川将軍家墓所門(元文昭院殿宝塔前前中門)
通常は入れるのは、この前までで今回は、この中に入ります。
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人将軍と5人の正室、5人の側室他歴代将軍の子女多数が埋葬されています。壮麗な霊廟は、1945年(昭和20)の空襲によりほとんどが焼失してしまいました。
南北に配していた墓所は、1958年(昭和33)に現在地に改葬されました。
明治34年当時の増上寺全景。
番号の固まっているあたりが、現在の東京プリンスホテルで、番号の1、2番がパークタワー東京でその間が増上寺本堂になります。で、その前を通っているのが、日比谷通りになります。こうしてみると、広大な敷地になります。
中に入ると、こんな感じで奥の右手が秀忠公夫妻、左手が家宣公夫妻になります。
秀忠とお江の墓所。
これは、本来はお江の墓所なのですが、秀忠の墓所は戦災で焼失したために、合祀されたようです。
本来の秀忠の墓所は、こんな感じです。
増上寺徳川将軍家霊廟特別拝観。━其之弐━へ続く。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
非公開だった増上寺の徳川将軍家霊廟が特別拝観出来るというので行ってみました。
増上寺は、過去に某研究会の見学会で何度と行ったことがあるのですが、裏手にある徳川家霊廟は非公開なので、表の門のみの見学でした。中は、どうなっているのかなあ?と想いを巡らせていた霊廟の中が観られるというので、わくわくしながら行きました。
徳川将軍家墓所門(元文昭院殿宝塔前前中門)
通常は入れるのは、この前までで今回は、この中に入ります。
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人将軍と5人の正室、5人の側室他歴代将軍の子女多数が埋葬されています。壮麗な霊廟は、1945年(昭和20)の空襲によりほとんどが焼失してしまいました。
南北に配していた墓所は、1958年(昭和33)に現在地に改葬されました。
明治34年当時の増上寺全景。
番号の固まっているあたりが、現在の東京プリンスホテルで、番号の1、2番がパークタワー東京でその間が増上寺本堂になります。で、その前を通っているのが、日比谷通りになります。こうしてみると、広大な敷地になります。
中に入ると、こんな感じで奥の右手が秀忠公夫妻、左手が家宣公夫妻になります。
秀忠とお江の墓所。
これは、本来はお江の墓所なのですが、秀忠の墓所は戦災で焼失したために、合祀されたようです。
本来の秀忠の墓所は、こんな感じです。
増上寺徳川将軍家霊廟特別拝観。━其之弐━へ続く。
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック