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下呂・高山を行く━其之伍━からの続き
高山陣屋
1692年(元禄5)7月、六代高山城主金森頼時が出羽国上ノ山に移封となり、飛騨国は幕府の直轄領の天領となった。
8月18日、関東郡代伊奈忠篤に飛騨代官を兼務させた。1695年(元禄8)4月、高山城の取り壊しが始まると、三代高山城主金森重頼の娘が居住していた向屋敷に代官所を移して、高山陣屋とした。以降明治維新に至るまで高山陣屋で政務を執行した。
明治以降も主要な建物は地方官庁として使用され、1969年(昭和44年)飛騨県事務所まで使われました。
玄関の間。
御居間。
嵐山の間と言われた郡代の日常の生活場所。
御居間からみた中庭。
大広間。
広間は三室に分かれており、公式の会議等に使われた。
御蔵。
1695年(元禄8)に高山城三之丸から移築され、年貢米の蔵として使用されました。年代・規模共に全国でも最古・最大の米蔵と言われています。
下呂・高山を行く━其之七━へ続く
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高山陣屋
1692年(元禄5)7月、六代高山城主金森頼時が出羽国上ノ山に移封となり、飛騨国は幕府の直轄領の天領となった。
8月18日、関東郡代伊奈忠篤に飛騨代官を兼務させた。1695年(元禄8)4月、高山城の取り壊しが始まると、三代高山城主金森重頼の娘が居住していた向屋敷に代官所を移して、高山陣屋とした。以降明治維新に至るまで高山陣屋で政務を執行した。
明治以降も主要な建物は地方官庁として使用され、1969年(昭和44年)飛騨県事務所まで使われました。
玄関の間。
御居間。
嵐山の間と言われた郡代の日常の生活場所。
御居間からみた中庭。
大広間。
広間は三室に分かれており、公式の会議等に使われた。
御蔵。
1695年(元禄8)に高山城三之丸から移築され、年貢米の蔵として使用されました。年代・規模共に全国でも最古・最大の米蔵と言われています。
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