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【豊島区高田】
中世の頃『宿坂の関』と呼ばれる所が、このあたりにあった。この坂の名が宿坂道と残っているのは、おそらくそれにちなむものと思われる。
『宿坂の関』は鎌倉街道の道筋にあったものといわれ、したがって、ここ宿坂はその街道上の地名と考えれれる、古地図によると、鎌倉街道は現在のこの道より、やや東寄りに位置していたが、一応ここも鎌倉街道の名残りと言えよう。
今から300年ほど前、このあたりには樹木が生い茂り、昼なお暗く、暗闇の坂道として狐狸の類がとびはねて、通行人を化かしたなどという話もいまに伝わっている。
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坂下には丸橋忠弥の墓で有名な五色不動の一つ、目白不動がある。
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