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京都紅葉便り━洛北編 其之弐━からの続き
圓光寺山門
圓光寺は、1601年(慶長5)徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶禅師を招き、伏見に圓光寺を建立して学校とし、僧俗を問わず入学を許した。
また、孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、伏見版または圓光寺版と称された。
当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。
その後、圓光寺は相国寺山内に移り、1677年(寛文7)に現在地の一乗寺小谷調に移転された。
室内には、本尊千手観音像などがある。また、庭園は山門を上がると枯山水の奔龍庭が広がり、さらに中門を抜けると苔と紅葉の美しい十牛の庭がある。
奔龍庭
渦を巻き、様々な流れを見せる白砂を雲海に見立てて、天空を自在に奔る龍を石組みであらわしています。
瑞雲閣からみた中庭。
この時は、紅葉はピークは過ぎましたが、まだかろうじて見ることができました。
そして、この時期なのでとにかくひと・ヒト・人です。多くの人が写ってしまっていますが、ご容赦下さい。
京都紅葉便り━洛北編 其之四━へ続く。
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圓光寺山門
圓光寺は、1601年(慶長5)徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶禅師を招き、伏見に圓光寺を建立して学校とし、僧俗を問わず入学を許した。
また、孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、伏見版または圓光寺版と称された。
当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。
その後、圓光寺は相国寺山内に移り、1677年(寛文7)に現在地の一乗寺小谷調に移転された。
室内には、本尊千手観音像などがある。また、庭園は山門を上がると枯山水の奔龍庭が広がり、さらに中門を抜けると苔と紅葉の美しい十牛の庭がある。
奔龍庭
渦を巻き、様々な流れを見せる白砂を雲海に見立てて、天空を自在に奔る龍を石組みであらわしています。
瑞雲閣からみた中庭。
この時は、紅葉はピークは過ぎましたが、まだかろうじて見ることができました。
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