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【文京区小石川】
「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり、来の上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見へし故に、富士見坂ともいへり」(『江戸志』)
白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林侯時代の屋敷で、もと白山神社の跡だったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保7年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生生が設けられた。まだ、同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
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左側に写っている塀は、小石川植物園の塀です。
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