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一昨日のこと、遅まきながら初詣に行ってきました。
今年は、寒川神社に行ってきました。
寒川神社は、東京から電車で90分ほど揺られて、サザンで有名な茅ヶ崎市の北にある寒川町にあります。
相模国一之宮で格式も由緒ある神社。創建は不明だそうですが、約1500年前雄略天皇の御代に幣帛を奉納した記録があると伝えられているそうです。
本殿に入る神門です。
門の上には、その年の干支ねぶたが飾られています。
新年が明けてから8日も経つというのに人出が結構ありました。
本殿です。
ちょっとした行列で、参拝するのに10分ぐらいかかりました。
本殿も立派ですが、それ以上に目をひくのが注連縄です。
参拝したあと、御朱印を頂きました。
堂々と相模国一之宮と書かれています。
凛々しい朱印です。
ちなみに、今年のおみくじはももんがと同じく大吉。なんか、うれしいというより一安心。
お土産に寒川神社名物八福餅。
甘さ控えめでやや物足りない感じがしましたが、お餅がやわらかくおいしく頂きました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
寒川神社 http://samukawajinjya.jp
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今年は、寒川神社に行ってきました。
寒川神社は、東京から電車で90分ほど揺られて、サザンで有名な茅ヶ崎市の北にある寒川町にあります。
相模国一之宮で格式も由緒ある神社。創建は不明だそうですが、約1500年前雄略天皇の御代に幣帛を奉納した記録があると伝えられているそうです。
本殿に入る神門です。
門の上には、その年の干支ねぶたが飾られています。
新年が明けてから8日も経つというのに人出が結構ありました。
本殿です。
ちょっとした行列で、参拝するのに10分ぐらいかかりました。
本殿も立派ですが、それ以上に目をひくのが注連縄です。
参拝したあと、御朱印を頂きました。
堂々と相模国一之宮と書かれています。
凛々しい朱印です。
ちなみに、今年のおみくじはももんがと同じく大吉。なんか、うれしいというより一安心。
お土産に寒川神社名物八福餅。
甘さ控えめでやや物足りない感じがしましたが、お餅がやわらかくおいしく頂きました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
寒川神社 http://samukawajinjya.jp
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観音崎を行く━其之参━からの続き
いよいよ、メインであり最終目的地の観音崎灯台が見えてきました。
左側の白い建物が観音崎灯台です。右側の背が高い建物は、東京湾海上交通センターです。
反対側に廻って見た観音崎灯台。
灯台の下は観音崎公園で、ちょっとしたハイキングが出来るような遊歩道があります。
観音崎公園に上陸して、いよいよ観音崎灯台へと向かいました。
歩くこと15分ぐらいで観音崎灯台に到着しました。
観音崎灯台は、日本初の西洋式灯台として、1868年(明治元年)11月1日起工。翌年に初点灯しました。関東大震などにより2度再建され、現在の灯台は3代目になります。
また、日本の灯台50選にも選ばれています。
灯台は公開されているので、登ってみました。
東京湾海上交通センター。
右下に見える道から登ってきました。
灯台から浦賀水道を臨む。
東京湾だけあって、船の数が半端じゃないです。
晴れていると千葉県が見えるのですが、この日は辛うじて見える程度なので、写真には写りませんでした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
観音崎灯台(燈光会HP内) http://www.tokokai.org/archive/data/kannon.html
東京湾海上交通センター http://www6.kaiho.mlit.go.jp/tokyowan
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左側の白い建物が観音崎灯台です。右側の背が高い建物は、東京湾海上交通センターです。
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灯台の下は観音崎公園で、ちょっとしたハイキングが出来るような遊歩道があります。
観音崎公園に上陸して、いよいよ観音崎灯台へと向かいました。
歩くこと15分ぐらいで観音崎灯台に到着しました。
観音崎灯台は、日本初の西洋式灯台として、1868年(明治元年)11月1日起工。翌年に初点灯しました。関東大震などにより2度再建され、現在の灯台は3代目になります。
また、日本の灯台50選にも選ばれています。
灯台は公開されているので、登ってみました。
東京湾海上交通センター。
右下に見える道から登ってきました。
灯台から浦賀水道を臨む。
東京湾だけあって、船の数が半端じゃないです。
晴れていると千葉県が見えるのですが、この日は辛うじて見える程度なので、写真には写りませんでした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
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東京湾海上交通センター http://www6.kaiho.mlit.go.jp/tokyowan
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観音崎を行く━其之弐━からの続き
いよいよ、これからが本題の灯台巡りです。
2階建ての家みたいなのが一つ目の灯台、燈明堂です。
1648年(慶安元年)に幕府の命によって築造された燈明堂は、観音崎灯台にバトンタッチされる220年間に渡り、使用されました。そして、1872年(明治4年)に廃止。その後、建物は荒れ、石垣のみ残っていましたが、1989年(平成元年)に復元されました。
浦賀湾の入口にある横須賀火力発電所。
完成当時(1970年)には、発電の出力が263万キロワットで世界最大だったそうです。2010年(平成22年)に長期計画停止となっていたが、東日本大震災で不足した電力確保のため運転再開したそうです。
2つ目の灯台。海鹿島灯台。左にある白い建物は、波浪観測所です。
江戸時代には「漁師が鉄砲を担いで船でアシカを捕りに行っていた」「周辺海域には仙台伊達家の財宝が眠る」などの伝説が残されている久里浜沖に浮かぶ島、海鹿島の灯台です。
遠くには、久里浜〜浜金谷を結ぶ東京湾フェリーが見えました。
前方には、メインの観音崎が見え始めました。
観音崎を行く━其之四━へ続く。
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いよいよ、これからが本題の灯台巡りです。
2階建ての家みたいなのが一つ目の灯台、燈明堂です。
1648年(慶安元年)に幕府の命によって築造された燈明堂は、観音崎灯台にバトンタッチされる220年間に渡り、使用されました。そして、1872年(明治4年)に廃止。その後、建物は荒れ、石垣のみ残っていましたが、1989年(平成元年)に復元されました。
浦賀湾の入口にある横須賀火力発電所。
完成当時(1970年)には、発電の出力が263万キロワットで世界最大だったそうです。2010年(平成22年)に長期計画停止となっていたが、東日本大震災で不足した電力確保のため運転再開したそうです。
2つ目の灯台。海鹿島灯台。左にある白い建物は、波浪観測所です。
江戸時代には「漁師が鉄砲を担いで船でアシカを捕りに行っていた」「周辺海域には仙台伊達家の財宝が眠る」などの伝説が残されている久里浜沖に浮かぶ島、海鹿島の灯台です。
遠くには、久里浜〜浜金谷を結ぶ東京湾フェリーが見えました。
前方には、メインの観音崎が見え始めました。
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観音崎を行く━其之壱━からの続き
このクルーズは、灯台めぐりと銘うっているので、浦賀にある3つの灯台を巡って行きます。
まずは、出港してすぐに案内されたのがこちらのドライドック(通称、浦賀ドック)。
住友重機械工業の所有です。1899年(明治32)に完成。2003年(平成15)に閉鎖。かつて、ここでは1世紀以上に渡り艦船が造られ、戦前は帝国海軍の駆逐艦、戦後は海上自衛隊の艦船や青函連絡船などが造られたそうです。
このドライドックは、よく見るとレンガ積みで出来ていて、かなり貴重なものだそうです。ドックの開け閉めは水圧の調整で行われ、ドライドックに注水すると扉が手前に倒れて開くしくみになっています。
左側にあるのが浦賀ドック、右側にあるボートが出港したところになります。まっすぐいくと浦賀駅の方になります。
赤い船は、ポンポン船と言われている渡し船です。先の写真を見てもわかるのですが、湾の東側の西側を結ぶ橋やトンネルがないので、ポンポン船に乗って行き来します。
ちなみに、この渡し船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道です。
ガット船と言われる砂利運搬船です。
浦賀病院の前にある桟橋が、陸軍桟橋と呼ばれるところです。太平洋戦争後、大陸や南方から引き揚げ者が帰ってきたところです。
観音崎を行く━其之参━へ続く
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このクルーズは、灯台めぐりと銘うっているので、浦賀にある3つの灯台を巡って行きます。
まずは、出港してすぐに案内されたのがこちらのドライドック(通称、浦賀ドック)。
住友重機械工業の所有です。1899年(明治32)に完成。2003年(平成15)に閉鎖。かつて、ここでは1世紀以上に渡り艦船が造られ、戦前は帝国海軍の駆逐艦、戦後は海上自衛隊の艦船や青函連絡船などが造られたそうです。
このドライドックは、よく見るとレンガ積みで出来ていて、かなり貴重なものだそうです。ドックの開け閉めは水圧の調整で行われ、ドライドックに注水すると扉が手前に倒れて開くしくみになっています。
左側にあるのが浦賀ドック、右側にあるボートが出港したところになります。まっすぐいくと浦賀駅の方になります。
赤い船は、ポンポン船と言われている渡し船です。先の写真を見てもわかるのですが、湾の東側の西側を結ぶ橋やトンネルがないので、ポンポン船に乗って行き来します。
ちなみに、この渡し船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道です。
ガット船と言われる砂利運搬船です。
浦賀病院の前にある桟橋が、陸軍桟橋と呼ばれるところです。太平洋戦争後、大陸や南方から引き揚げ者が帰ってきたところです。
観音崎を行く━其之参━へ続く
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久々に休日が休みだった昨日。
なんだか、ちょっとだけ遠出がしたくなり、観音崎に行ってきました。
観音崎に行くには最寄りの京急線浦賀駅からバスで行くのですが、1日限定で浦賀〜観音崎を船で行くことが出来るので、船に乗って行きました。
かなり前に浦賀から久里浜に抜けたことはあるのですが、観音崎は初めてなので楽しみです。
これがおいらたちが乗る「シーフレンド1号」です。
浦賀湾の様子。
ということでいよいよ、出港です。
観音崎を行く━其之弐━へ続く。
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なんだか、ちょっとだけ遠出がしたくなり、観音崎に行ってきました。
観音崎に行くには最寄りの京急線浦賀駅からバスで行くのですが、1日限定で浦賀〜観音崎を船で行くことが出来るので、船に乗って行きました。
かなり前に浦賀から久里浜に抜けたことはあるのですが、観音崎は初めてなので楽しみです。
これがおいらたちが乗る「シーフレンド1号」です。
浦賀湾の様子。
ということでいよいよ、出港です。
観音崎を行く━其之弐━へ続く。
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平等院に行ってきました。━其之壱━から続き
中に入って、ずんずん進んで行くと、鳳凰堂が見えてきました。横からでも十分にすばらしいです。
鳳凰堂正面。
屋根の鳳凰。
向かって右側から阿字池に映る鳳凰堂。
極楽浄土に憧れた時の権力者頼通の気持ちがよくわかります。
向かって左側から。
池の手前は、蓮です。
さすが、世界遺産の庭です。どこから見ても、すばらしいです。
ちなみに、このあと30分ぐらい眺めていました。
宇治駅前にあったポスト。
宇治茶に因んで、茶壺です。
平安貴族の別宅がある宇治。
予想以上にいいところで、別宅を構える気持ちがわかるいいところでした。
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鳳凰堂正面。
屋根の鳳凰。
向かって右側から阿字池に映る鳳凰堂。
極楽浄土に憧れた時の権力者頼通の気持ちがよくわかります。
向かって左側から。
池の手前は、蓮です。
さすが、世界遺産の庭です。どこから見ても、すばらしいです。
ちなみに、このあと30分ぐらい眺めていました。
宇治駅前にあったポスト。
宇治茶に因んで、茶壺です。
平安貴族の別宅がある宇治。
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昨日、普段よく見るこの場所に行ってきました。
10円玉の裏に描かれている宇治平等院鳳凰堂です。
平等院は、1052年(永承7)に藤原頼通が父道長より受け継いだ別荘を改めて、寺院にしたものです。平等院の中心をなす阿弥陀堂(鳳凰堂)は、翌年に建立。その後も頼通の子孫により法華堂、五大堂、経堂、宝蔵などが整備されました。
しかし、1336年(建武3)の足利尊氏と楠木正成との合戦により、ほとんどが焼失し、現在では阿弥陀堂、観音堂、鐘楼だけが残されています。
平等院参道入口。
宇治と言えば、お茶が有名で、参道はお茶の匂いで満たされて、歩くだけで飲んでいるような感覚になります。
すぐ脇に宇治川が流れています。
宇治川と宇治橋。
宇治川は、思ったよりも流れが激しいです。
しかし、目立って高い建物がないから、絵になりますなあ。
平等院入り口です。
それでは、いよいよ中に入ります。
平等院に行ってきました。━其之弐━へ続く。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
平等院 http://www.byodoin.or.jp
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10円玉の裏に描かれている宇治平等院鳳凰堂です。
平等院は、1052年(永承7)に藤原頼通が父道長より受け継いだ別荘を改めて、寺院にしたものです。平等院の中心をなす阿弥陀堂(鳳凰堂)は、翌年に建立。その後も頼通の子孫により法華堂、五大堂、経堂、宝蔵などが整備されました。
しかし、1336年(建武3)の足利尊氏と楠木正成との合戦により、ほとんどが焼失し、現在では阿弥陀堂、観音堂、鐘楼だけが残されています。
平等院参道入口。
宇治と言えば、お茶が有名で、参道はお茶の匂いで満たされて、歩くだけで飲んでいるような感覚になります。
すぐ脇に宇治川が流れています。
宇治川と宇治橋。
宇治川は、思ったよりも流れが激しいです。
しかし、目立って高い建物がないから、絵になりますなあ。
平等院入り口です。
それでは、いよいよ中に入ります。
平等院に行ってきました。━其之弐━へ続く。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
平等院 http://www.byodoin.or.jp
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