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あやめ祭りを行く━序章━からの続き
梅を採り、姪っ子のそらちゃんを見たあと、昼過ぎに佐原駅に到着しました。
佐原に以前、来たことがあるけど駅舎が立派になっていました。
街の景観と合っていてなかなかいい感じ。
まず向かったのは、長年行きたいところの一つ小堀屋本店。
1782年(天明2)創業の老舗蕎麦屋です。建物自体は明治期の建物ですが、それでも100年を超えています。
頼んだのは黒天もり(¥1,500)
名物の黒切りそばの天もりです。昆布を加工して、この黒色になっています。
おいしく頂きました。
忠敬橋からの眺め。
あやめ祭りを行く━其之弐━へ続く
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梅を採り、姪っ子のそらちゃんを見たあと、昼過ぎに佐原駅に到着しました。
佐原に以前、来たことがあるけど駅舎が立派になっていました。
街の景観と合っていてなかなかいい感じ。
まず向かったのは、長年行きたいところの一つ小堀屋本店。
1782年(天明2)創業の老舗蕎麦屋です。建物自体は明治期の建物ですが、それでも100年を超えています。
頼んだのは黒天もり(¥1,500)
名物の黒切りそばの天もりです。昆布を加工して、この黒色になっています。
おいしく頂きました。
忠敬橋からの眺め。
あやめ祭りを行く━其之弐━へ続く
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2013年の初詣━其之弐━からの続き
初詣を終えた後、市街をぶらぶら。
佐野市は、古くは藤原秀郷が唐沢山に居所を構え、近世では日光例幣使街道として、栄えた宿場町です。
市街地中央には江戸時代初期に佐野信吉が城を築いた城山があり、その南側が現在の佐野市の中心部となっています。城山からは、碁盤の目に道路を配し整然とした街並がが眺められ、関東の小京都と言われているそうです。
現在の日光例幣使街道。(県道67号線
いかにも、街道筋という町並みです。)
佐野駅にむかう途中で見かけた古い建物。
小沼呉服店。
大坂屋。
寺岡邸。
太田邸。
明治期の洋風の建物もありました。
影澤医院
明治44年に建てられ、現在も現役で使われています。
日本基督団佐野教会
昭和9年に建てられました。
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初詣を終えた後、市街をぶらぶら。
佐野市は、古くは藤原秀郷が唐沢山に居所を構え、近世では日光例幣使街道として、栄えた宿場町です。
市街地中央には江戸時代初期に佐野信吉が城を築いた城山があり、その南側が現在の佐野市の中心部となっています。城山からは、碁盤の目に道路を配し整然とした街並がが眺められ、関東の小京都と言われているそうです。
現在の日光例幣使街道。(県道67号線
いかにも、街道筋という町並みです。)
佐野駅にむかう途中で見かけた古い建物。
小沼呉服店。
大坂屋。
寺岡邸。
太田邸。
明治期の洋風の建物もありました。
影澤医院
明治44年に建てられ、現在も現役で使われています。
日本基督団佐野教会
昭和9年に建てられました。
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2013年の初詣━其之壱━からの続き
佐野ラーメンを食べた後、いよいよ佐野厄除大師へ。
944年(天慶7)3月に奈良の僧宥尊上人が開いた寺で、最初は法相宗に属し、正しくは春日岡転法輪院惣宗官寺という。平安時代末期には衰えたが、鎌倉中期に復興した。それ以後、天台宗に改宗する。
江戸時代には、御朱印五十石を拝領して、三代将軍家光公も参拝するなど幕府との縁故も深い。
境内は、思っていたよりもこじんまりとしていました。
本堂の手前には、足尾鉱毒事件で有名な田中正造の墓がありました。この惣宗寺で本葬が行われたそうです。
佐野厄除大師本堂。
お参りを済ませ、今年の運勢を占うおみくじは吉でした。
まあまあ、こんなものですかねえ。
佐野厄除大師御朱印。
2013年の初詣━其之参━へ続く
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佐野ラーメンを食べた後、いよいよ佐野厄除大師へ。
944年(天慶7)3月に奈良の僧宥尊上人が開いた寺で、最初は法相宗に属し、正しくは春日岡転法輪院惣宗官寺という。平安時代末期には衰えたが、鎌倉中期に復興した。それ以後、天台宗に改宗する。
江戸時代には、御朱印五十石を拝領して、三代将軍家光公も参拝するなど幕府との縁故も深い。
境内は、思っていたよりもこじんまりとしていました。
本堂の手前には、足尾鉱毒事件で有名な田中正造の墓がありました。この惣宗寺で本葬が行われたそうです。
佐野厄除大師本堂。
お参りを済ませ、今年の運勢を占うおみくじは吉でした。
まあまあ、こんなものですかねえ。
佐野厄除大師御朱印。
2013年の初詣━其之参━へ続く
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今日、ようやっと初詣に行ってきました。
今年は関東三大師の一つ佐野厄除大師(正式には惣宗寺)に行ってきました。
よく間違えやすいけど、佐野厄除大師は、関東厄除三大師(西新井大師・川崎大師・観福寺大師堂)には入らないんですよね。
ちなみに、関東三大師は諸説あるけど、一般的には佐野厄除大師・青柳大師・川越大師だそうです。
まずは、参拝する前に腹ごしらえということで、名物の佐野ラーメンを食べました。
厄除大師からほど近いところにある青竹手打ちラーメンの店ラーに入りました。
手打ちチャーシューメン(¥800)
細麺の縮れ麺でコシが強く、全体的にさっぱりした味でおいしく頂きました。
2013年の初詣。━其之弐━へ続く
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
佐野厄除大師 http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp
佐野青竹ラーメンの店Ra
栃木県佐野市天明町2227
Open 11:30〜19:00
Close 不定休
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昨日は、相模湖イルミリオンに行ってきました。
ここは、関東最大の400万球のイルミネーションがあるということです。
デジカメを忘れてしまったので、携帯のカメラで撮ったので、あまりよくないですが、そこは愛嬌ということで・・・。
入り口を入ると、光のゲートがお出迎えです。
光の花畑。
ホワイトトゥインクルガーデン。
光の大聖堂。
光の大聖堂の中。
流星群の大地。
園内に入るまでは、大渋滞で大変でしたが、敷地が広いので、見て回る分には、全く問題がありませんでした。
これだけ、規模が大きいとただただ、圧巻です。光の中を移動できるので、とてもよかったです。
あ〜、デジカメを忘れてしまったのが、心残りでした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
相模湖イルミリオン http://www.sagamiko-resort.jp/illumillion
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ここは、関東最大の400万球のイルミネーションがあるということです。
デジカメを忘れてしまったので、携帯のカメラで撮ったので、あまりよくないですが、そこは愛嬌ということで・・・。
入り口を入ると、光のゲートがお出迎えです。
光の花畑。
ホワイトトゥインクルガーデン。
光の大聖堂。
光の大聖堂の中。
流星群の大地。
園内に入るまでは、大渋滞で大変でしたが、敷地が広いので、見て回る分には、全く問題がありませんでした。
これだけ、規模が大きいとただただ、圧巻です。光の中を移動できるので、とてもよかったです。
あ〜、デジカメを忘れてしまったのが、心残りでした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
相模湖イルミリオン http://www.sagamiko-resort.jp/illumillion
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京都紅葉便り━東福寺 其之壱━からの続き
日下門。
ここからいよいよ、境内に入ります。
まず、向かったのは、本堂。
昭和9年(1934)築の重層入母屋造の大建築。天井の蒼龍図は堂本印象作。
禅宗の寺院なので、装飾はほとんどないですが、大きさに圧倒されます。
本堂の脇を抜けると庫裡になります。
明治14年(1881)の火災で焼失ため、明治42年(1909)再建。
切妻を正面とする禅宗式寺院の典型的な形で、白壁に配された縦横の横架材が印象的です。方丈唐門とともに、昭憲皇太后の恩師建築です。
ここから、方丈庭園に向かいます。
京都紅葉便り━東福寺 其之参━へ続く
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日下門。
ここからいよいよ、境内に入ります。
まず、向かったのは、本堂。
昭和9年(1934)築の重層入母屋造の大建築。天井の蒼龍図は堂本印象作。
禅宗の寺院なので、装飾はほとんどないですが、大きさに圧倒されます。
本堂の脇を抜けると庫裡になります。
明治14年(1881)の火災で焼失ため、明治42年(1909)再建。
切妻を正面とする禅宗式寺院の典型的な形で、白壁に配された縦横の横架材が印象的です。方丈唐門とともに、昭憲皇太后の恩師建築です。
ここから、方丈庭園に向かいます。
京都紅葉便り━東福寺 其之参━へ続く
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話が前後しますが、先週の金曜日に京都の東福寺に行ってきました。
京都駅からJR奈良線で東福寺駅下車。一駅という近さの場所です。
東福寺駅から歩いて10分ほどのところにあります。
創建は古く鎌倉時代。摂政九条道家が南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の二字をとり、九条家の菩提寺として造営。嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて、都最大の伽藍を完成させました。開山は、聖一国師。鎌倉時代の相次ぐ火災により大部分を焼失しましたが、復興に着手。貞和3年(1347)前関白一条経通のより仏殿が再建され、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院として、偉容を取り戻しました。
その後は、時の権力者たちによって、保護修理が加えられました。
近代に入り、明治14年(1891)に、方丈、仏殿、法堂などを焼失しましたが、後に再建されました。
東福寺北門。
ここから、東福寺の境内にはいりますが、塔頭が25ヶ寺もあるので、とにかく広いです。
臥雲橋。
東福寺三名橋の一つ。
臥雲橋から見る通天橋。
溜め息が出るほど、鮮やかな紅葉です。
この橋の下は、三ノ橋川になっています。境内にいながらにして、渓谷の景色が味わえるという贅沢さです。
日下門に続く道。
いい具合に紅葉していますなあ〜。
京都紅葉便り━東福寺 其之弐━へ続く。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
東福寺 http://www.tofukuji.jp
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京都駅からJR奈良線で東福寺駅下車。一駅という近さの場所です。
東福寺駅から歩いて10分ほどのところにあります。
創建は古く鎌倉時代。摂政九条道家が南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の二字をとり、九条家の菩提寺として造営。嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて、都最大の伽藍を完成させました。開山は、聖一国師。鎌倉時代の相次ぐ火災により大部分を焼失しましたが、復興に着手。貞和3年(1347)前関白一条経通のより仏殿が再建され、京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院として、偉容を取り戻しました。
その後は、時の権力者たちによって、保護修理が加えられました。
近代に入り、明治14年(1891)に、方丈、仏殿、法堂などを焼失しましたが、後に再建されました。
東福寺北門。
ここから、東福寺の境内にはいりますが、塔頭が25ヶ寺もあるので、とにかく広いです。
臥雲橋。
東福寺三名橋の一つ。
臥雲橋から見る通天橋。
溜め息が出るほど、鮮やかな紅葉です。
この橋の下は、三ノ橋川になっています。境内にいながらにして、渓谷の景色が味わえるという贅沢さです。
日下門に続く道。
いい具合に紅葉していますなあ〜。
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★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
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