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映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク。
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京都紅葉便り━東福寺 其之参━からの続き

偃月橋
方丈を後にして、向かったのは東福寺塔頭の一つ龍吟庵。
偃月橋、東福寺三名橋の一つ。

洗玉澗
偃月橋が架かる洗玉澗。

龍吟庵方丈
龍吟庵方丈。
龍吟庵は、南禅寺を開山した東福寺3世無関普門の住房であり、背後に無関の塔所(霊光殿)があって大明国師坐像を安置し、像下に五輪塔を安置している。
単層入母屋造、杮茸、正面は七間、梁間は五間。部屋の構成は南北2列、東西3列の6室からなっている。
正面東端に唐破風の玄関を付設。正面中央には双折両開きの桟唐戸の入口を設け、左右の柱間に蔀戸明障子を設置する。書院造と寝殿造が融合した名建築である。
日本最古の方丈建築としても知られている。
ここの庭園も重森三玲が昭和34年(1964)に作庭したものです。

龍吟庵南庭
南庭(無の庭)
一木一草をも用いない簡素な白砂敷き。

龍吟庵西庭
西庭(龍の庭)
龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を石組みによって、表現している。青石による龍頭を中央に配し、白砂は海、黒砂は黒雲、竹垣は稲妻模様を表している。

龍吟庵東庭
東庭(不離の庭)
方丈と庫裡を結ぶ渡り廊下に面した長方形の庭園。
赤砂を敷いて中央に長石を臥せ、その前後に白黒の二石を配している。狼に襲撃されそうになる国師の身を、二頭の犬が守ったという。国師幼少の頃の故事の基づいて作庭されたという。

京都紅葉便り━東福寺 其之伍━へ続く


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京都紅葉便り━東福寺 其之弐━からの続き

東福寺方丈庭園南庭
庫裡を抜けると方丈庭園の南庭が見えます。

方丈八相庭園。
近代日本を代表する作庭家重森三玲(1896〜1975)により昭和14年(1939)に完成された庭園で、鎌倉時代庭園の風格を基調に近現代芸術の構成美を融合している。
広大な方丈には東西南北に四庭が配されて、「八相の庭」と称されている。方丈の四周に庭園を巡らされたものは、東福寺の方丈のみである。
「八相の庭」とは、四庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛洲
」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで命名されたものです。

東福寺方丈庭園南庭
南庭
広さ210坪の枯山水庭園である南庭は、「蓬莱」「方丈」「瀛洲」と呼ばれる四仙島を18尺の長石を基に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表す。西方には、「五山」になぞらえた築山を置いている。
南正面に設けられた向唐破風の表門は昭憲皇太后の寄進と伝わる。恩賜門とも呼ばれている。

東福寺方丈庭園西庭
西庭
さつきの刈り込みと砂地とをくず石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化する。井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み。「井田市松」と呼ばれる。
北庭に続く途中には「通天台」と呼ばれる舞台が設けられ、眼下に「洗玉澗」を一望できる。

IMG_6296.JPG
通天台から通天橋を望む。

東福寺方丈庭園北庭
北庭
ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、恩賜門に使われていたものである。

東福寺方丈庭園東庭
東庭
雲文様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北斗の庭と呼ばれる。
北斗七星に見立てた石は、もと東司の柱石の余石を利用したもの。後方には、天の川を表した生垣が配され、夜空が足元に広がるかのよう小宇宙を造り出している。


京都紅葉便り━東福寺 其之四━へ続く。


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晩夏の京都を行く。−其之四−からの続き

哲学の道
竜安寺から嵐電と市バスを乗り継いできたのが、哲学の道。
琵琶湖疎水分線に沿うようにして、若王子から銀閣寺道まで続く1.8キロある道のことを言います。
この道は、哲学者の西田幾多郎が、思索に耽りながら歩いたことから哲学の道と呼ばれています。
疎水に西側に石畳が敷かれ、風光明媚なことから日本の道百選にも選ばれています。

哲学の道
道沿いに桜や紅葉が植えられていて、季節になれば混むのだけろうけど、ゆっくりと歩く時は、このぐらい閑散としているのがいいですね。

哲学の道を歩き続けて、着いたところが南禅寺
1291年(正応4)に亀山天皇が無関普門禅師を開山に迎え創建されたものです。
帰りの時間もあるので、三門だけ上ってみました。

南禅寺三門
南禅寺三門。
高さ約22メートル。1295年(永仁3)に西園寺実兼の寄進によって創立され、その後改築や焼失を経て、現存する三門は1628年(寛永5)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提弔うために再建されたものです。
歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名です。

IMG_5557.JPG
三門は結構、上り甲斐ありました。
22メートルというと4〜5階分の高さ。なかなか見晴らしいいです。
つい「絶景かな、絶景かな」と言ってしまうほど見晴らしのよさでした。
南禅寺は、庭園や水路閣等他にも見所がありますが、それはまたの機会に。

京都は、見所がたくさんあるので、何回行っても飽きないし、新たな発見もあります。
また京都行きたいなあ〜。


晩夏の京都を行く。−おわり−

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★
南禅寺 http://www.nanzen.net


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晩夏の京都を行く。−其之参−からの続き

竜安寺山門
竜安寺山門。
創建は1450年(宝徳2)管領職の細川勝元が徳大寺公の山荘を譲り受け妙心寺五世のの義天玄奘禅師を開山に迎え創建。まもなく、応仁の乱で焼失。勝元の子・政元のより再興。
有名な石庭は、1499年(明応8)に築造されたと伝えられています。

鏡容池
竜安寺のイメージは、枯山水の石庭が印象的だけど、境内は結構広く、このような鏡容地という大きな池もあったりします。

竜安寺参道
石庭のある庫裡へと続く、参道。
垣根は竜安寺垣というものです。

方丈庭園
石庭。
正式には、方丈庭園といいます。室町時代末期の作として伝えられ、枯山水の石庭として有名です。
長方形の敷地の中に白砂を敷き、十五個の意思を配し。一木一草
も用いず象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示したものと言える。あたかも渓流を虎が子をつれて渡っているようにも見えるため、「虎の子渡し」とも呼ばれている。
やっぱり、庭の中でも枯山水はいいなあ〜。ものすごく、想像力がかき立てられますね。

IMG_5513.JPG
石庭を進むと、今度は緑一色の庭。
地面は苔が一面に広がっています。

竜安寺御朱印
竜安寺御朱印。


晩夏の京都を行く。−其之伍−へ続く

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
竜安寺 http://www.ryoanji.jp

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晩夏の京都を行く。−其之弐−からの続き

馬掘駅前
翌日は、嵯峨野トロッコ列車に乗るために、JR嵯峨野線で、馬堀へ行って、そこから徒歩でトロッコ亀岡駅へ。
昨日とは、一変して自然一杯の風景。

トロッコ列車
トロッコ列車。

保津川
保津川。
保津川川下りとラフティングの船が見えます。

竹林の道
終点一つ手前のトロッコ嵐山で下車。
行ってみたかった、ドラマのロケ地として有名な竹林の道。
竹が揺れる風の音が気持ちいいです。

渡月橋
竹林の道を抜けると嵐山の渡月橋が見えました。
嵐山はさっくりと通り過ぎて本日のメイン、竜安寺へ。


晩夏の京都を行く。−其之四−へ続く。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
嵯峨野観光鉄道 http://www.sagano-kanko.co.jp


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晩夏の京都を行く。−其之壱−から続き

清水寺仁王門
お昼を食べて向かったのは、清水寺
画像は、仁王門と三重塔。
開創は778年(宝亀9)に奈良子島寺の賢心、後の延鎮上人によって開創されました。
山号は、音羽山。宗派は、北法相宗です。
清水寺と寺名は、音羽山中のより湧き、音羽の滝に流れる霊泉に由来しているそうです。

清水寺本堂
本堂。
清水寺と言えば、やはりこの本堂ですよね。

清水寺から見た京都市街
本堂から眺めた京都市街。
京都タワーがはっきりと見えます。
中心地は見えないですが、京都駅のある八条がよく見えます。

音羽の瀧
音羽の瀧。
清水寺の由来となった瀧です。

清水寺御朱印
清水寺御朱印。

その後、またもや京都市街を散歩した後、楽しみで、人生初の納涼床行きました。(この日、京都では納涼床とホテルとの間しか交通機関を使っていない)
行ったところは、がんこ高瀬川二条苑。
豪商角倉了以別邸跡ということで、庭が素晴らしかったけど、席に通りすがるだけなので、ほとんど見ませんでした。(夜ということもあったので)

前菜盆
前菜盆。
前菜だけでも、こんなに豪華な感じで美味しかったなあ。
このあとに、はもちりや上すしなどで出て、しかも飲み放題だったので、ちょっと飲んでしましまいた・・・。

夜の鴨川
納涼床から見た鴨川の眺め。
川を挟んだ向こう岸は東山なので、明かりはほとんどないけど、それもまたいいです。この日は、暑くもなくちょうどいい気候だったので、納涼床を満喫しました。


晩夏の京都を行く。−其之参−へ続く。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
清水寺 http://www.kiyomizudera.or.jp
   
がんこ高瀬川二条苑 http://www.gankofood.co.jp/yashiki/nijyoen
中京区木屋町通二条下ル東生洲町484−6
Tel 075−255−2580
Open 11:00〜21:30


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京都タワー
書くのがだいぶ遅くなりましたが、今月の8・9日と京都に行ってました。
まず、最初に行ったのは、京都駅から割と近い三十三間堂に行きました。
京都市街は比較的土地勘があるので、20分ぐらい歩いていきました。


三十三間堂
三十三間堂
地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は、和様、入母屋造り本瓦葺きです。
正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、御堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。
平安後期、後白河上皇が自身の職住兼備の法住寺殿と呼ぶ院御所内に、平清盛の協力によって創建したものです。 ところが、そのお堂は建長元年(1249)に焼失し、文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。

通し矢場
通し矢射場
さきほどの三十三間堂の裏側にあたります。
120メートル先の的に当てるのは、すごいなあ思いながら眺めていました。
もちろん、安置されている千体千手観音立像も圧巻でした。(撮影禁止なので画像なしです。)
久しぶりに、三十三間堂に来たけど、改めて見るとまたいいものだと思いました。


三十三間堂
三十三間堂の御朱印。
結構、ここで時間が経ってしまったので、清水寺行く前に昼ご飯を食べることにしました。

IMG_5405.JPG
そんな訳で、入ったのは「よしむら清水庵」。
蕎麦もおいしかったけど、目の前に広がる東山の景色がよかったです。

晩夏の京都を行く。−其之弐−へ続く

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三十三間堂 http://sanjusangendo.jp

よしむら 清水庵 http://www.arashiyama-yoshimura.com/kiyomizu
東山区清水三年坂西四軒目
TEL  075−533−1211
Open 11:00〜17:00
Close なし


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